カトリック 武 庫 之 荘 教 会
-27-教会の目的は何でしょうか? (2018.12.02)
聖ルカは教会の目的をはっきり教えています。キリスト者たちは「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(使徒2,42)と。教会の務めとは聖書の教えを理解させ、信者の交わりを支え、導き、信仰を強める主の晩餐を行い、秘跡を授け、絶えず神に感謝し、祈ることです。
教会は私たちの信仰が生き生きとしたものであるように、聖書に基づいて神の言葉を正しく教え、説明します。キリストの名によって集まっている信者たちは、ミサ祭儀によって信仰と愛と希望の内に一つになり、神の神聖に与るキリストの神秘的な体となります(ローマ12,4-5 、1 コリント12,12)
教会は、神に感謝と賛美、そして信徒の共同体の祈りを神にささげます。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4,6-7)と聖パウロが教えたように、教会は祈りの場、つまリ神との親しい出会いの場です。
教会に与えられたもうひとつの任務は、イエス・キリストを通しての救いの福音を宣言することです(マタイ28,18-20)。初代教会の時から、教会は言葉と行いによって福音を宣べ伝える使命を忠実に果たしています。どんな状況の中に置かれても、教会は人々を救い主イエス・キリストの方に向けるために証ししています。キリストの司祭職に与っている私たちキリスト者もその使命を果たすように召されています。 最後に、福音を伝えるだけではなく、主のはしためとして、教会は必要がある人たちに仕える務めと義務をもっています。昔イエスがなさったように、教会は世界の不幸や災いに対して気を配り、思いやりの心で霊的にも、物質的にも困っている人々を助けます。教会は神の愛と慈しみ、神の赦しと憐れみの目に見える印(しるし)です。そいう訳で、キリスト者たちは一人ひとりが、聖霊の教え導きによって神の愛の現れであるように召されています。
-28-信徒の「司祭職」とは何でしょうか? (2018.12.09)
司祭が叙階の秘跡で「イエスの頭(あたま)」と結ばれるのに対して、信徒は洗礼で「イエスの体(からだ)」に結ばれます。頭も体も同じイエス・キリストです。だから、どちらの働きもイエスの働きです。そして、イエスは生まれた時から「永遠の司祭」です。ギリシャ語で「キリストス」、ヘブライ語で「メシア」という呼び方は、「油を注がれた者」という意味です。信徒は洗礼の時に、また堅信の時に「聖香油」を額に塗っていただく事によって「油を注がれた者」つまり「キリスト」「メシア」となります。
司祭は、神と人の間に立つ仲介者であり、秘跡と司牧活動を通して人々に神の恵みと救いを与えます。信徒は、司祭に出来ない形で、司祭職を果たしています。信徒は特に世間の中にいるので、家庭、職場、学校、病院など、地域社会の中で生活し働いています。信徒は自分が住んでいる地域社会の中で司祭職を行ないます。それは福音宣教をすることではなく、言葉と行いによってイエスに属することを示します。
たとえば、神から授かった子どもを「神の子」として、神が望まれるように育てるとき、信徒は司祭職を果たしています。あるいはまた、職場で忠実に人に頼まれた仕事果たすことは、神のために働き司祭職を行っています。人間関係で嫌な人を赦すとき、人の悩みに耳を傾けるとき、イエスの平和と慰めを人々にもたらすとき、信徒は司祭職を果たしています。キリスト者は、イエスの手や足となって働き、生活し、その行いを通して神の愛が人々に伝わります。イエスに神秘的に繋がっているので、家庭的な生活や社会的な生活を通して、キリスト者はイエスの救いの神秘に合わせて「救いの協力者」となるので、確かに司祭職を行なっています。勿論、祈りがその働きを支えなければなりません。キリスト者であるあなたも、司祭です。
-29-信徒の「王職」とは何でしょうか? (2018.12.23)
洗礼を授ける時、司祭は次のように言います。「神の民に加えられたあなたは、神ご自身から救いの香油を注がれて、大祭司、預言者、王であるキリストに結ばれ、その使命に生きるものとなります」と。昔、神から選ばれたイスラエルの王たちは、神の前で民の代表者であり、その民を守り、正しく治め、平和の内に正義を行い、統治する使命を受けていました。
キリストの王権に結ばれているキリスト者も、同じ責任を受けています。私たちはキリストと同様に謙遜に愛と真理の奉仕をする者です。キリスト者は世界の支配者ではありません。世界に平和と救いをもたらす責任を持っています。聖パウロが教えている通りキリスト者は「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、わたしたちの救い主である神の御前(みまえ)に良いことであり、喜ばれることです」(1テモテ2,1-3)と。キリスト者は世界の平和と自分の国の安定のために祈り、正義を求め、行ない、働く人です。またキリストは大自然を尊重し、守り、祈りの力で人々から災いと疫病を遠ざけ、すべての人が元気で、安全に生きるように工夫し、祈り、社会活動などによってキリスト者は神に協力します。
ご存知のように、神は造られた者をすべて支配するよう、全世界を人の手にお委ねになりました(ミサ奉献文4番)。王職を受けて私たちは、全人類の代表として、キリスと共に絶えずこの世界の上に神の豊かな祝福と恵みが注がれるよう、祈りをささげ具体的に行動しましょう。
-30- 信徒の「預言職」とは何でしょうか? (2018.12.30)
預言者たちは神の言葉と教えを忠実に宣べ伝える使命をもっていました。また試練と出会う人々に、神の慰めと苦しい状況を耐え忍ぶために生きる希望をもたらしました。預言者は絶えず神の前で人々のために祈り、執り成す人です。今も、神の前で全人類のために執り成すイエスは、預言者として救いのよい知らせを宣言し、困っている人々に希望と慰めをもたらします。生涯に亘(わた)ってイエスは昔の預言者たちと同じように神の神秘を啓示しました。つまり神はすべての人の救いと幸せを望んでいます。遣わされた「メシア」救い主を通して、神は必ず罪とあらゆる悪の力(死を含めて)に打ち勝ちます。
預言職に与っている私たちも、神の言葉を伝えるために、先ず、第一にその言葉に耳を傾けること、聖書の教えと親しくなることが必要です。救いの神秘を理解し、それに自分の心と意志を一致させることによって、キリスト者は自分の預言職を果たしています。また、困っている人々に希望と慰めをもたらすことや彼らの試練の辛さに与り、分かち合うことによって、キリスト者は救いの道を整えています。